こんにちは、ロッソです。
このブログ内で、わたしは何度か「わたし、人の顔を見ると、何となくその人の性格が分かるんです」なんて事をお伝えしています。
まぁ要は、人相が何となく分かるという事ですね。
こんな話をすると、大抵の場合は「ロッソさんて占い師なんですか?」なんて聞かれるんですが、いや、全く関係のない仕事をしています(笑)。
えぇ、ただの趣味みたいなもんです。
しかし実はわたし、他の占いも多少詳しいものですから、例えばお酒の席で余興程度に披露すると「やっぱりロッソさんは占い師だったんだ」と訳の分からない確信を持たれます(笑)。
もうこうなると「スピリチュアル」とかなんとか盛り上がり始める人が出てくるので、最近ではあまり人前でこうした話をしないようにしています。
いや、そういった不思議な話も嫌いじゃないんですけど、そういった人たちに、いちいち自分が占いに詳しくなった理由を説明するのも面倒になってくるんですよね。
わたしからすれば、占いって結局は、「哲学」か「統計学」なんじゃないの?と考えています。
だからそもそも興味を持った訳で。
今回はその辺について話していこうと思いますが、あくまでも個人的意見ですから、「あぁ、そんな考え方もあるんだなぁ~」程度で読んでもらえれば。
えぇ、もうこのブログ、マセラティから遠く離れつつあります(笑)。
目次
きっかけは、「読書」
では、なぜわたしが占いに興味を持つようになったのかという事についてからお話ししようと思います。
まぁ、色んな理由がありますが、単純な話、突き詰めれば読書がきっかけなだけなんですね。
もともとわたしは読書が好きなんですが、このブログでも何度かお伝えしているように、わたしは若いころから転勤や出張が多かったんですね。
で、海外にもいましたから、とにかく移動時間が長い訳で。
すると機内にいる時間が長くなるので、大抵移動前に数冊の本を持って乗り込みます。
最初はビジネス書とか流行りの書籍などを読んでいたんですが、しばらく経つと、読む本が無くなってくるんですね。
だって、9時間から12時間も飛行機に乗ってたら、結構な数の本を読み切ってしまいますから。
で、何を思ったかわたし、古典や漢文なんかも読み始めたりして(笑)。
中国語は話せませんが、何故か昔から漢文は何となく意味がわかるんですね。ですから一度、隣の席のご婦人に「中国人ですか?」なんて聞かれたこともあります(笑)。
まぁ、話を戻して。
今思えば、ただただ乱読していただけのようなものですが、それがキッカケで、占いの原書なんかも読むようになったんです。
あれって、台湾や香港などに行かないと購入できないのですが、行ったついでに何度か買って帰ってきたりしています。
えぇ、わたし、ただの変な奴なんです(笑)。
ちなみに、中国本土は占いが禁止なのはご存じでしたか?
もともと、占いというのは中国本土で生まれたものがほとんどですが、中国政府はこれを迷信として禁じています。
だから、台湾と香港でしか占いの原書が売られていないんですね(最近は分かりませんが)。
占いを知っていて損はない
もともとわたしは、学問というか哲学的な興味から占いに興味を持ち始めたのですが、いわゆる「エンターテイメント」としての占いも否定している訳ではありませんからね。
むしろ「知っていて良かったな」という場面が何度かあります。
例えば、日本人が海外に行くと、現地の人からなかなか受け入れてもらえないという事が多々あります。
特にわたしなんかは英語の発音が「壊滅的」ですから(笑)、コミュニケーションをとるのも一苦労なんですね。
そこで「ちょっと占いに詳しいんだ」となると、相手との距離が一気に縮まるなんて事もよくあります。
日本人は占い好きの人が多いですが、海外も負けじと占い好きの人が多いんですよ。
まぁ、仕事の面で何度か救われています。
ちなみに余談ですが、大人は占いに食いつきますが、子供の場合はそんなに興味を示さないんですよね。
そんな時にはどうするか?
大抵子供相手の場合は、ちょっとした「マジック(手品)」を披露すると、キャッキャと喜んでくれます。
うん、これが本当の「子供だまし」(笑)。
それぞれの占いについて考える
それでは次に、実際にわたしがそれぞれの占いについて、どんな観点で捉えているのかについてもお伝えしていこうと思います。
「易」は哲学
まずは「易」についてから見ていきましょう。
易というと、昔は変な帽子をかぶった人が街角で椅子に座り、何だか長い棒をジャラジャラさせているイメージがあるかもしれません(わたしだけですか?(笑))。
でも実は、易というのは本来、哲学的な要素が強いんですね。
実際には「易経(えききょう)」というものがあり、これを最終的に編纂したのは、「論語」で有名な孔子だったってご存じでしたか?
まぁ、厳密に言えば「フッキ」という人物が八卦(はっけ)というものを作り、その後「文王」がその組み合わせ(8×8)の64通りのストーリーを作り、孔子が64通りの一つずつに6爻(こう)を作り、合計で64×6=384のストーリーを作ったと言われています(所説ありますが)。
八卦というのは「乾(けん)、兌(だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)」の八つの事象を表したものです。
乾は「天」、兌は「沢」、離は「火」、震は「雷」、巽は「風」、坎は「水」、艮は「山」、坤は「地」という意味です。
うーん、何だかウィキペディアみたいに長くなりそうなので、興味のない人は読み飛ばして頂いて結構ですからね(笑)。
で、それぞれの組み合わせごとに呼び方が変わってくるのですが、例えば上に離(火)、下に乾(天)がくると「火天大有(かてんたいゆう)」という卦になる訳ですね。
ちなみに、乾(天)が二つ揃った場合は「乾為天(けんいてん)」となり、これに孔子が加えた6爻のストーリーを見てみると、初爻は「伏龍」つまりまだ世に出る前の龍という訳で、これが二爻、三爻と上昇していく毎に、どんどん龍が昇っていく、言うなれば出世していくという物語になっています。
だったら、一番上の爻、上爻になると突き抜けた龍になるかと言えばそうではなく、易経では「上り過ぎた龍はあとは落ちるだけ」という戒めのような内容となっています。
ねっ?長くなりましたが、本当は易って、このように哲学的な内容なんですよ。
日本においても、昭和の時代くらいまではこの易経の勉強が盛んだったようです。
有名どころでは「安岡正篤さん」なんてのはよく知られているかもしれません。この方、色んな噂がありますが、「日本の黒幕」、「フィクサー」なんて呼ばれていたこともあるようです。
一説には、元号の「平成」もこの人が作ったとかそうでないとか・・・。
まぁ、昔から政治家や経営者などは、この易経を勉強する傾向があるんですよね。
四柱推命は「統計学」「数学」
そしてお次が四柱推命ですが、これも有名な占いの一つです。
わたし的に四柱推命は、「統計学」と「数学全般」の要素が強いと感じています。
だって結局、生まれた日や時間などからその人の性格や人生が分かる訳ですよね。これって何万人というひとの人生を調べて、それを統計化しただけの話なんじゃないかと。
まぁ、この辺は色んな捉え方があると思います。
で、四柱推命の読み方ですが、例えば・・・うーん、そうですねぇ~。
この記事を公開するのはいつになるか分かりませんが、現在の時間は2021年7月25日の15:00となっています。
では、この瞬間に生まれた子供さんの命式(めいしき)を見てみましょうか。
今日という日が「甲辰」で、月が「乙未」、年が「辛丑」、で、時間が「壬申」となります。
簡単に言えば、これで4つの柱が出来るので「四柱(しちゅう)」推命という訳で。
えぇ、すっごく簡単に説明しています(笑)。
この配合というか組み合わせで、この人の性格や人生などを解読していくわけですね。
わたしも多少かじったので、ある程度解読する事は出来ますが、正直なところ「これを極めるのは自分には無理」と言ったところ。
何故なら、数学的な要素だけでなく、応用力や記憶力も必要となるため、相当頭が良くないと四柱推命は使いこなせないからです。
更に言うと、後半部分でもお話しますが、これまでYouTubeや様々な占い師を見てきましたが、ほとんどと言って良いほど皆さん原書を理解していないんですね。
まぁ、あんまり言いすぎると、どこかの団体から怒られそうですが、例えば「空亡(くうぼう)」とか言っている占い師がいたら、それ、五流の占い師ですからね。
えぇ、二流でも三流でもありませんよ。五流、つまり「全く当たらない」と思って頂いて良いと思います(笑)。
何故なら、原書にはそんな事どこにも書いていないんですよね。だから当たらない。
とにかく、本当に四柱推命が当たるという占い師さんがいたら、その方は相当頭が良いのだと思います。
ちなみに、戦前の日本人は、この四柱推命というか暦の見方に詳しかったんですよ。
例えば、芥川龍之介っていますよね。彼は、「辰の時間」「辰の日」「辰の月」「辰の年」に生まれたから「龍」の文字が名前に入っています。まぁ、フィーバーしたという事でしょう(笑)。
また、「午の時間」「午の日」「午の月」に生まれたから「三午(さんご)」なんて名づけられた人もいるようです。
戦後になって日本人の多くは、東洋的な考え方から西洋的な考え方に移り変わった象徴と言えるかもしれませんね。
カバラは「統計学」
これまで東洋系ばかりでしたので、ここでひとつ西洋系の「カバラ」についても見ていきましょうか。
カバラについては完全な「統計学」と言えます(まぁ、哲学という考え方もありますが)。
例えば、2021年7月25日に生まれた人がいるとしましょう。そうすると、2+0+2+1+7+2+5で合計が19になりますよね。
で、さらにこれを1+9で計算すれば、合計が10になります。カバラは一桁になるまで計算するので、1+0=1という事で、この人の生年月日の数字は「1」という事になります。
この数字をもって、その人の性格や人生を占うというものがカバラです。
ここで、「そうは言っても、結局9種類しかないんだから、9種類で人の性格が分けられるわけないだろ」と考える人もいるかと思います。
確かにその通りなのですが、実はカバラは更に名前にも数字があり、それを組み合わせて解読していく事になります。
まぁ、お遊びというか、エンターテイメントとしてなら、カバラが一番うけるかもしれません。
例えば、生年月日だけでも大筋の方向性は分かる事もあります。
仮に、全て足し合わせた数字が「5」になる人だったら、移動が多い仕事をしているとか、旅行が好きなんて傾向があるようです。
また、よせばいいのに、どうしても争いに首を突っ込んでしまうという傾向もあります(これを知人に言ったら「そうだ、そうだ」と大笑いしてました)。
まぁ、いずれにしてもカバラは完全な統計学と言えるでしょう。
人相は「統計学」と「医学」
そして最後が、わたしの得意な「人相学」について。
これは統計学・・・と言いたいところですが、本来は医学としての要素も強いんですよね。
以前の記事でもお伝えしましたが、わたしは人相学についてはこれといって勉強したわけではなく、子供のころから人の顔を観察する事が好きで、自然と理解できるようになったんですね。
ですから、いわゆる「正統」と言われる人相学(観相学)を学んだことがありません。
まぁ、「自分の考え方は合っているのかな?」という事の確認のために、何度か本を読んだことはありますが、その書籍によっては「これはいい加減だな」と逆に思う事もあります。
では、「医学的な要素」はどこで知ったのかと言うと、子供の頃、近所のお医者さんでわたしの事を可愛がってくれていた先生がおり、その方から「いいかい、お医者さんていうのはね、昔はみんな占い師だったんだよ」と教えてもらったことがあります。
それを聞いて、子供だったわたしは大興奮(笑)。その先生に「だから先生は、皆の顔をよく観察するんだね」といった事を覚えています。
確かに、世界の歴史を紐解いてみると、多くの地域で占い師が医者になったという例が数多くあります。
特に、顔には様々な病気の症状が現れますから、人相学というのは医学の進歩していなかった時代には重要なツールだったのかもしれませんね。
例えば、わたしが子供の頃その先生から聞いた話のひとつに「目の下のクマの見方」というものがあります。




例えば、肝臓は解毒作用があって、腎臓はろ過作用があるんだけど、その機能が正常に働かないと血液に毒素が回って、それがクマに現れるんだよ。
つまり、血液が解毒されていないとクマの部分が青っぽくなって、ろ過されていない場合はクマの部分が黒っぽくなるんだ。
えぇ、当時のわたしには難しすぎて理解できませんでした(笑)。
簡単に言えば、肝臓に問題があればクマは青っぽくなり、腎臓に問題があればクマは黒っぽくなるという事ですね。
確かによくよく考えてみると、昔のお医者さんて、患者の顔をよく観察していましたよね。その反面、最近のお医者さんはパソコンばかり見ているという・・・(笑)。
まぁともかく、人相学に関しては、読書で学んだというより、この先生の影響がわたしにとってはもの凄く大きかったんですね。
だから人相学は、「統計学」と「医学」という訳で。
占いにおける注意点
とまあ、だいぶ長くなったので、本来はこの辺で終わりにしようと思ったのですが、ついでですから、占いにおける注意点みたいなものもお伝えしておこうかと思います。
かなり辛辣な内容となっているので、いつか削除するかもしれませんが(笑)。
占いは当たってもせいぜい8割

まずは、「占いは当たってもせいぜい8割程度」という事について。
まぁ、いくら当たると言っても人間のやる事ですから、完璧なものなんかありませんよね。
実際、江戸時代に人相学(観相学)の権威とされた水野南北という人は、かなり当たると言われていましたが、当初本人は「どうしても完璧にならない」と悩んでいました。
この人、人骨なんかも調べるほどの徹底ぶりだったようですが、悩んで悩みぬいた末に、「あっ、そうか、食事の違いでも鑑定結果が変わるんだ」と気づき、最終的に完璧に当てられるようになったそうです。
まぁ、ここまでやる人ってなかなかいないでしょうから、ほとんどの人はせいぜい8割どまりという訳で。
とは言っても、野球で4割も打てば天才バッターなんていわれますから、8割も当たれば御の字でしょうが。
ほとんどの占い師は当たらない

さて次が、「ほとんどの占い師は当たらない」という事について。
えぇ、この辺から徐々に辛辣になっていきます(笑)。
昔の話ですが、わたしは一時期、いわゆる有名と言われている占い師に占ってもらうため、冷やかしに・・・いや、勉強のためにあちこち行っていた事があります(笑)。
そこで思ったのが、ポンコツばっかり・・・いや、あまり当たらないなぁ~と(笑)。
もちろん、中には「まぁまぁ」なんて人もいましたよ。しかし、「本当に勉強してんのかな?」なんて思う事が多々ありました。
ですから実際に、前述した「8割」なんて到底当たらない訳で。
皆さん、悪いことは言いませんから、最近流行りの「電話占い」とか、なんちゃら占いなんかはやらない方が良いですよ。
本来ならここで、「このサイトが当たりますよ」なんて広告を貼るんでしょうが、嘘はいけませんからね(笑)。
逆に、当たる占い師は「引くほど」当たる

じゃあ、当たる占い師が全くいないのかと言うとそうでもありません。
わたしはこれまで2~3人ですが、「この人、スゲー・・・」という占い師に会った事があります。
もうね、引くくらい当たるんですね(笑)。
前述したように、わたしは占いを多少かじっているものですから、相手の占い師がどのように鑑定しているのかが何となく分かります。
最初は、「うん、ちゃんと理解してるね」なんて上から目線なんですが、次第に「えっ、そんな見方すんの」と徐々に震え上がるという(笑)。
ちなみにこうした「スゲー当たる」占い師の方々、残念ながら店舗などで運営している訳ではなく、ほとんどが「一見さんお断り」の方ばかりです。
要は、紹介じゃないと観てもらえないんですね。
まぁ、あれだけ当たれば広告なんか出さなくても、口コミだけで十分なんでしょうねぇ~。
意外と経営者には占い好きが多い

では、どうしたらこのように「本当に当たる占い師」に出会えるかというと、わたしの場合は知人で会社を経営されている方々に紹介してもらえたからなんですね。
あまり知られていないかもしれませんが、経営者の方で占い好きの人って多いんですよ。
最近の若い経営者の方は知りませんが、年配の方になると「ひいきにしている占い師」というのが一人や二人いたりします。
で、わたしの場合は、その知人の方々から「ロッソさんって、占い詳しいよね?一度、私の先生紹介してあげるよ」と。
その際の鑑定料もその知人が支払ってくれるというのですから、バカなわたしは「わーい」と何も考えずに会いに行くんですね(笑)。
で、鑑定が終わって、その知人から「どうだった?やっぱりあの先生って本物?」って聞かれるんです。
「いや、わたしを使って試してるんかい」と(笑)。
まぁ、タダで凄い占い師に観てもらえたんですから、文句も言えませんが、こんな事が数回続いただけのお話です。
ですから皆さんも、本当に当たる占い師の先生に出会いたければ、知り合いの経営者の方などに「どこか占いの先生で、すごく当たる人いませんかねぇ~」と尋ねてみると、意外と紹介してもらえるかもしれませんよ。
まとめ
如何でしたでしょうか。
最後の部分で「意外と経営者には占い好きが多い」なんてお話をしましたが、実際には皆さん、人前ではあまりそんな話をしないと思います。
何故なら、人前でそんな話をすると、「スピリチュアル」とか「宗教チック」などと、白い目で見られるからなんですね。
ですから、基本的にはわたしもあまりしませんし、今回の記事を書くのも少し躊躇しました。
確かに、いつも不思議系の話ばかりする人を見ると、「この人、そんなことばっかり考えていて、仕事をちゃんとやってんのかなぁ~?」とわたしでさえ思いますからね。
でも、たまにくらい趣味の範囲なら良いのかなと。実際、使い方次第では仕事にも活用できますからね。
そこで次回の記事は、「人相で分かるその人の金運」なんて話をしようと思っていますが、これ、結構仕事に使えます。
わたし、ただ覚えるだけじゃなくて、どうせ覚えたんなら活用しなきゃ損だと考えるので。
興味があれば、次回を楽しみにしておいてください(いつになるか分かりませんが(笑))。
冒頭でもお伝えしましたが、このブログ、本来はマセラティに関する情報をお伝えするものだったんですが、最近はマセラティについて書くこともありませんから、こんな内容でもよければお付き合いください(笑)。