募金について考える

日々のこと

こんにちは、ロッソです。

ここ数週間で、このブログの「海外に行くと分かる『日本が恵まれている本当の理由』」という記事が多くの方に読まれるようになっています。

 

おそらくこれは、ロシアによるウクライナ侵攻が原因でしょうね。

 

この記事の中でわたしは、日本が恵まれている理由は数多くあるけど、その中でも「治安が良い」「水が飲める」という事を一番の理由として挙げています。

わたし自身、紛争のある地域に滞在した事はありませんが、平時においても、この水と治安の問題はどこの国でも満足できるようなものではありません。

 

ですから、この2つが揃っている日本という国は、世界的に見ても恵まれているんですよという事をお伝えしているんですね。

 

更に言うと、現在のウクライナはミサイルなどが飛び交い、水もまともに飲めるような状況ではありませんから、日本に住んでいる私たちには想像を絶する状況だと言えます。

日本人にとっては「当り前」のことが、海外では当り前じゃないんですね。だから日々のことに感謝しなくてはいけないと。

こうした記事が注目されるという事は、みなさんそれぞれ、思う事があるからなのでしょう。

同様にわたしも思うところがあり、先日、ウクライナへ募金をさせて頂いたのですが、良い機会ですので、今回は少し募金について考えてみようかと。

まぁ、あくまで個人の意見ですから、興味のある方だけ読んでみて下さい。

いろいろ言いたい気持ちも分かるけど

まず前提として、現在様々な報道がされていますが、その中でウクライナの政府や大統領に対して疑問を覚えている人も多いかと思います。

確かにその気持ちも分からなくはありませんが、基本的にわたしは、ここでその事についてあれこれ言うつもりはありません。

 

まぁ、それはそれ、これはこれという感じで。

 

実際、ウクライナの人々は大変な目にあっていて、とにかく生きるか死ぬかの状態なんですね。

また、ウクライナの人達からしてみれば、「頑張れ」という声援よりも、とにかく今日を生き抜くためのパンが欲しいでしょうし、身体を温めるブランケットが欲しいはずです。

わたしは直接ブランケットを届けることは出来ませんが、募金をする事で、募金先の団体は、わたし達に代わってウクライナの人々に物資を届けてくれます。

だったらあれこれ言うよりも、まずは募金をしてみましょうよ?というのがわたしの考えなんですね。

もちろん、人それぞれ考え方は異なりますから、わたしの考えを押し付ける気は全くありません。

わたしは日本赤十字に募金した

ちなみにお伝えしておくと、わたしは、日本赤十字に募金しました。

基本的に、募金した事をわざわざお伝えするのって、カッコ悪いなと思っているんですが、まぁ参考になればなと。

日本赤十字は、ゆうちょ銀行も使えますし、「三井住友銀行」「三菱UFJ銀行」「みずほ銀行」にもそれぞれ振り込み専用の口座がありますから、どれかの銀行口座をお持ちであれば、振込手数料も無料となるはずです(わたしは無料でした)。

もちろん、日本赤十字以外にも募金を受け付けている団体はありますから、「募金をしたい」と考えているのなら、ご自身がここだと思うところに募金して頂ければと思います。

 

日本赤十字ウクライナ人道危機救援金

なぜ日本では、寄付文化が定着しないのか

最近でこそ日本でも多少定着しつつある寄付文化ですが、やはり海外と比べるとまだまだ遅れていると感じますよね。

その理由も様々でしょうが、一般的に以下のようなことが理由として挙げられています。

宗教観の違い

まずは宗教観の違い

アメリカなどはキリスト教の国ですから、寄付をするという事が当たり前の感覚となっています。

例えば、アメリカの街角には大きいポストのようなものがあり、そこに古着を入れる事ができるようになっています。

で、その古着を貧しい人へと配るシステムが出来上がっているんですね。

 

まぁ、日本だと「メルカリに売ろう」なんてなりますが(笑)。

 

また、教会などでは定期的にボランティアの人々が炊き出しを行っています。こうしてみると確かに宗教観の違いというのも否定できないかもしれませんね。

では日本はどうかと言うと、欧米ほどしっかりとした宗教観もなく、「自分は無宗教」という人も多いかと思います。

とは言え、どちらかというと仏教的な考え方を持っている人も多いのではないでしょうか?

では、仏教に寄付文化がないのかというとそんな事は無く、代表的なものとしては「托鉢(たくはつ)」が有名かもしれません。

駅前などで、お坊さんがお経を唱えながら器を持っているあれですね。

 

しかしあれ、厳密に言うと、本来は募金という考え方ではないんですよ。

 

昔、お釈迦様は弟子たちに、托鉢に行ってきなさいと言いました。すると弟子たちはお金持ちの人の家をまわろうとするのですが、お釈迦様はそれを諭し、「お金のない家にまわってきなさい」と言うんですね。

これに弟子たちは困惑します。そりゃそうですよね、お金がある人ならいくらでも寄付をしてくれるはずですから。

するとお釈迦様は、「貧しい人というのは、自分が貧しいので人に施しができないと思い、これまで施しをしてこなかった人なのです。その為に苦しんでいます。その苦しみから救うために、あなたがたは托鉢に行くのです」と言ったそうです。

 

要は、他人に施しをする事で苦しみから解放されるという事なんですね。うーん、深いなと。

 

ですから、基本的に托鉢をしているお坊さんが持っている器にお金を入れても、お坊さんはお礼なんかしませんよ。

お坊さんからしたら、「あなたを苦しみから解放してあげた」って考えですからね(笑)。

まぁ、このように多少の違いはありますが、募金文化が定着しているかどうかは、宗教観の違いかと言うとそうでもないんですね。

税金に対する感覚の違い

そして次が、税金に対する感覚の違いという事について。

これは特にアメリカについてなんですが、基本的にアメリカ人は政府を信用していません(笑)。

税金を納めて、国がミサイルを購入するよりも、直接困っている人にお金を届けた方が合理的という考え方なんですね。

 

まぁ、日本人も政府を信用していないでしょうが(笑)。

 

ただし、アメリカの場合は、そうした寄付に対する税制の優遇がたくさんあるので、政府としてもそうした国民の考え方は許容しているのでしょうね。

逆に、日本の場合は、寄付金に対する制限がかなり厳しい。

まぁ、この点については、確かに寄付文化が定着する妨げになっているかもしれませんね。

教育の違い

そして最後が、教育の違いについて。

個人的にはここが一番の違いだと思っています。

日本でも「赤い羽根共同募金」とか、学校内において様々な教育がされていると思いますが、海外では子供のころから寄付に対する教育が徹底されています。

幼いころから「寄付をするのは当たり前」と両親から教えられている家庭が多いため、そもそも寄付をする事に対して疑問すら抱かないんですね。

もちろん、日本でも例えば駅前などで募金箱を持った中学生などが立っていることを目にする事がありますが、あれも生徒会の役員など一部の生徒たちに限られますよね。

 

ここで、わたしのちょっとした思い出話をひとつ。

 

むかし、駅の改札から出ると、募金箱を持った生徒たちが並んでいました。6人の生徒が並んで「お願いしま~す」と頑張っています。

さてここで、あなたなら、どういった行動をするでしょうか?

わたしとしては、こういった場合、すべての生徒の募金箱にお金をいれるようにしています。なぜなら、合計として見れば一緒ですが、どの生徒も自分の募金箱にお金を入れてもらいたいと思いますよね。

 

で、財布を取り出したわたし、そこを見ると千円札が5枚しか入っていない・・・。うん、大人なのにカッコ悪い(笑)。

 

ただ、わたしは小銭入れを別に持っているので、そこを見ると2千円分くらいの小銭が入っていたんです。

じゃあ、という事で、一人ずつ千円札を入れていき、最後の子には大量の硬化をジャラジャラ~と。

えぇ、最後の子が一番うれしそうな顔をしていました(笑)。

 

まぁ、どうでも良い話ですが。

 

海外の場合、学校が取り組むというよりも、家庭内で教育している事が多いですから、この点が一番の違いなのかもしれませんね。

「善意の見栄っ張り」でいいじゃない

まぁ、こんな話をすると、中には「うわっ、偽善だね」なんて言い出す人もいるんですね。

 

個人的には、「偽善?良いじゃん。善が全くないよりマシじゃない?」と思いますが。

 

以前、わたしが住んでいた地域でのお話ですが、その地域で自治会に入ると、毎年年末に「赤い羽根共同募金」のお願いが回覧板で回ってくるんですね。

で、封筒にお金を入れて、それを班長が回収する訳です。

その地域はどちらかと言うと、裕福な家庭が多かったので、「皆さん、それなりに募金されるんだろうなぁ~」なんて考えていました。

まぁですから、わたしも多めに入れていたんですね。えぇ、「見栄」です(笑)。

で、その地域から引っ越しするときのこと、班長さんに挨拶に行ったらこう言われたんです。

 

班長さん
ロッソさん、引っ越しするんだってね?寂しくなるわぁ~。

年末の募金の金額も、ロッソさんだけ金額が多かったから助かってたのよ。

わたし
えっ?皆さんそれなりにされていたんじゃないんですか?
班長さん
そんな事ないわよ。全くお金を入れずに、赤い羽根だけもらっている人もいるんだから。
わたし
いるんだ、そんな人・・・(笑)。

 

えぇ、かなり驚きでした。ここの近所の人、それなりの高級車ばかり乗っていましたから、わたしも通常より見栄を張ってしまったと(笑)。

まぁ、今となれば、「善意の見栄っ張りも、まぁ悪くないかな」と思えるんですが。

見栄っ張りと聞くと何だか印象が悪いですが、結果、誰かのためになっているんだから、それはそれで良いじゃんと。

モノは考えようですよね。

まとめ

個人的に、どこかの企業が「何十億円寄付しました」とか、著名人が「何億円」寄付しましたなんて報道を見ていると、それがきっかけとなって動き出す人もいるでしょうから、それはそれで良いことなのかなと思います。

ただし、中には売名目的の人がいるのも事実でしょう。

ですから、個人的には「わたし、募金しました」なんて言うのは、カッコ悪いというか、あまり公言する事ではないと考えています。

 

まぁ、「じゃあ、言うなよ」って話なんですが(笑)。

 

数日前、わたしが募金したときの日本赤十字の受付総額は5,000万円程度でしたが、現在(3/16)には7億円まで増えています。

この動きが、もっと広がってくれると良いなぁ~と思い、たまにはこんな記事も良いかなと。